モントリオールの観客のブーイングは正しい、と、ロジャーズ・カップ準決勝、錦織対マレー戦を見たあと思った。ロジャーズ・カップは古くから続く歴史のある大会である。マスターズシリーズというグランドスラムに次ぐ格付けの大会で、トップ選手たちは出場を義務付けられており、月末からの全米オープンに向けた調整期間とは言え、お客さんたちは世界最高峰の戦いを見に来る。ここ5年間の優勝者を見ても、マレー、ジョコビッチ、ジョコビッチ、ナダル、ツォンガ(準優勝フェデラー)と錚々たる顔ぶれが並ぶ。この舞台で第4シードがあのような負けっぷりを晒したら、まずはブーイングを浴びるのは当たり前であると私は思う。  なぜ錦織選手はブーイングを浴びてしまったのか。第2セット0-6というスコアで負けてしまったからか? 違う。戦う姿勢が感じられなかったからだ。第2セットを取り返して逆転してやるという気概も、食らいついていくガッツもなく、打ち返された球を追うことすら出来ないまま、ただぼんやりと6ゲームをやり過ごしたことに対して、観客は異議を唱えた。  ではなぜ錦織選手は戦う姿勢を失ってしまったのか。第1セット後半から徐々に重くなっていった足。ウィンブルドンを足の故障で途中棄権している錦織選手だから、もしやまた、と思った人は多かったと思う。試合後に退場する時、軽く足を引くように歩いていたので、私もどこか痛めたか、痛みが出たかなと思った。  テニスの場合、試合中に故障するのは珍しいことではないので、異状があればゲーム間にトーナメントドクターかトレーナーを呼ぶことが出来る。そこでドクターやトレーナーが必要と判断すれば、メディカルタイムアウトを取って応急処置することが認められている。さらに基本的に1回だが、セット間に着替えを含むトイレットブレイクも許されている。  錦織選手はいずれも要求しなかった。第1セットは結果的には3-6だが、ふたつブレイクバックしている。ただ、前日のナダル戦とは違いファーストサーブが不安定で、セカンドサーブの上がりっぱなを前に詰めたマレーに思うままに叩かれるくるしい展開。ミスも重なって最後は突き放され、明らかに気落ちしている様子だった。このあと重くなるいっぽうの足。観客席が「なんかこいつやる気ないぞ」とジャッジを下したのはごく自然な反応だったと思う。私も画面を見ながら、そう思った。  故障であったのなら、アピールでもポーズでもいいから、とにかくトレーナーを呼ぶべきだった。何も手を打たずにコートに立ち続けるのであれば、届かなかろうとミスになろうと、なんとしても最後まで走って追いかけてファイティングポーズをとるべきだった。それが出来ないのなら、潔くリタイアするべきだった。あくまで私見だけれど、いちテニスファンとして私はそう考える。今回の錦織選手の行動は、トーナメントに対しても観客に対しても対戦相手のマレー選手に対してもリスペクトを感じられないものだった。世界第4位、グランドスラムのタイトルを狙おうという選手にふさわしい態度ではなかった。それが残念でならない。  同じことを、1年前全米オープンの決勝でも感じた。準決勝までの鬼神のようなプレイとは別人のように、3-6,3-6,3-6のストレート、わずか1時間54分で淡々と敗れ去ったチリッチとの一戦。あの時悔しかったのは、錦織選手が負けたことじゃない。グランドスラムの決勝が近来稀に見る凡戦だったことだ。負けるのはいい。でも負けっぷりが悪すぎた。  夜になって、マレー戦第2セットの失速は蓄積された疲労のせいだったと発表された。1年前も、覇気無く敗れた理由は連戦の疲労だった。それでも、「グランドスラムの決勝まで進んだんだから、十分立派なことだ」「今回はナダルにも勝ったんだし、いいよいいよ、ゆっくり休んで」ということになるんだろうか? 悪いけど私はそう思わない。プロでしょ? そんなに甘くない。  勝ち負けだけが問題なら、誰もスポーツなんか見ない。あとで結果だけどっかで読めばいい。フェデラー、ナダル、そこにジョコビッチとマレーが続き、何年もの間BIG4として番を張ってきたのは、彼らが高い技術を持った上で、最後は技術も勝ち負けも超えた文字通り死に物狂いの戦いを続けてきたからだ。もはや伝説の08年ウィンブルドン、5時間48分に及んだフェデラー対ナダルの決勝、12年ウィンブルドン、悲願のイギリス人チャンピオンに一歩及ばず涙で絶句したマレー、暑さで疲労困憊し、あのナダルが膝に手を置いて肩で息をし、ジョコビッチはプレイ中に嘔吐しながら試合を続けた、14年全仏決勝、そしてまだ記憶に新しい、ほぼ手中に収めたと思いきや、今年もジョコビッチの手をするりと滑り落ちた全仏のタイトル。  勝つことも負けることも、簡単なことなんてひとつもない。だからこそ、負けることにすら価値があり意味があると教えてくれた数々の場面。勝つことではなく、勝ちたいと願うこと。届かなくても、届きたくて届きたくて手を伸ばし続けること。ケガもあり、好不調の波もある中でそうやって戦ってきたからこそ、彼らは勝っても負けても一流なのだ。  長年ひっそりテニスを見てきたので、去年錦織選手がついにトップ10入りした時は、生きてるうちにこんなことがあるなんて!としみじみうれしかった。こんなことはもう生きてるうちにはないと思う(笑)。だから、この先グランドスラムを取ったり、世界ナンバーワンになったりしてもしなくても、一流にふさわしい振る舞いの出来る人になって欲しいと思うのは、大きなお世話なのかな。でも私はやっぱり、ベストを尽くして、負けても、立派だったねって言いたくなる人が好き。ナダルみたいな(笑)。  それにしても。  今日一日、つらつらと記事を拾い読みしたり、SNSを巡ったりしながら、同じ試合を見てこんなに見方、感じ方が違うんだなとちょっと驚かされた。錦織選手はいまや、世界で活躍する日本人トップランナー的ヒーローなので、持ち上げる記事が多いのは仕方ないとして、「無気力」「やる気がない」みたいな言葉に過剰に反応したり、中継局の実況解説のせいにしてみたり、まあこれもスター選手が現れた、ということなんだろうが、いたずらな擁護は優れた才能に対してむしろ失礼だと、私は思う。  公平に見て、疲労の極致だったことを差し引いても、マレーという壁の高さにかなりの勢いで心が折れてたことは確かで、相乗効果でますますくたびれちゃったんだと思うけど、あれでは「やる気ナッシング」「勝つ気ナッシング」と見られても仕方ない。ほんとうのところはご本人にしかわからないことだが、とにかく疑問なのは「なんでトレーナー呼んでメディカル取らなかったんだ?」という一点に尽きる。そして、フィジカルもメンタルも、トップ3のレベルはまだ先だということだ。  とりあえずシンシナティは欠場とのこと。大いに反省したり悔しがったり休んだりしていただいて、フラッシング・メドウズでは、今度こそ途切れることのない戦う姿が見られますように。