不定期連載の第2回(第1回はこちら)、今回はBIG4確立する前の段階、フェデラー・ナダル時代について見ていくことにします。ちなみにBIG4を年齢で見ると、フェデラーが33歳、ナダルが28歳、ジョコビッチとマレーが27歳。彼らの年齢差は覚えておきましょう。 【新世代のスター:~2004年】  混沌の90年代を経て男子テニス界は大きく人気を落としてしまいました。一方でサンプラスが引退、アガシも既にキャリア終盤という谷間の時期を迎え「果たして次世代のNO.1は誰なのか?」ということが最大の注目となり、ATP自ら積極的に彼ら次世代スターをプッシュしていくことになりました。ちょうど現在錦織、ラオニッチ、ディミトロフが推されているのと似たような状況かもしれません。  そんな彼らを名づけて「ニューボールズ」と呼びました。彼らの激しい闘いの中で、まずヒューイットが、サフィンが、続いてフェレーロ、ロディックらが代わる代わるグランドスラム(以下GS)や世界ランク1位の座を手にしていきます。2001年ウィンブルドンでサンプラスを破ったフェデラーもまたその中の一人ではありましたが、2001年の年末ランキングは13位、2002年の年末ランキングは6位と今一つ。ヒューイット、サフィン、フェレーロには及びませんでした。  フェデラーの転機は2002年夏、師匠のカーター氏の死去にあると言われています。2003年のフェデラーは初めてウィンブルドンを制し、最終戦では過去0勝3敗と全く勝てなかったアガシに連勝して優勝、世界ランキングを2位で終えると翌2004年、全豪優勝と共に世界ランキング1位を奪い、ここにフェデラー時代が始まりました。 【フェデラーの絶対王政(世界ランク1位連続在位:2004年2月~2008年7月)】  フェデラーはあっという間に向かう所敵なしの存在となりました。2004年GSを3つ制覇。2005年こそサフィンの大爆発を前に敗れたもののその後2006年、2007年とGS3大会優勝を続けました。2007年終了時にフェデラーのGSタイトル数は12個になっていました。来年(2008年)にもサンプラスの14を越え歴代1位に立つのでは…  ロディック、ナルバンディアン、ダビデンコといったニューボールズの生き残りがフェデラーを止めようと奮闘しいくつかの大会で優勝を勝ち取りましたがキャリア通してはフェデラーに全く及びませんでした。06,07年のフェデラーはクレーコートですら十分に強い存在でした。この2年間だけでハンブルクMS優勝(07年)、モンテカルロMS準優勝(06,07年)、ローマMS準優勝(06年)、そして全仏準優勝(06,07年)を達成しているのです。 その2に続きます。