その1からの続編。独走するフェデラーに待ったをかけたナダルを中心に振り返ってみます。 【ラファエル・ナダルの登場】  やや遅咲きだったフェデラーと違いナダルはとてつもなく早咲きの選手でした。2003年4月、まだ16歳のナダルは早くもトップ100入りを果たし同年17歳でトップ50入りを果たします。そして2005年、18歳のナダルは覚醒しました。フェデラーとの記念すべき初対戦となったマイアミMS決勝を制しマスターズ初優勝を果たすとその勢いでモンテカルロ、ローマ、そして大会中に19歳の誕生日を迎えた全仏をなんと初出場で制しクレーシーズンのタイトルを総ナメに。さらに7月には世界ランキング2位に浮上。最後マドリッドでも優勝を加えたナダルはシーズン11勝を挙げ10代にしてフェデラーに次ぐナンバー2の座を確保しました。 【フェデラー・ナダル時代(05~07年)】  05~07年の年末順位はいずれもフェデラー1位、ナダル2位となっています。フェデラーが全盛期を謳歌しグランドスラムや最終戦などのビッグタイトルを独占する中で、一方クレーコートはナダルの独壇場となりフェデラーすら食い止めました。他の選手に付け入る余地はほとんどありませんでした。  低迷していたテニス人気も復活しました。当初ロングヘアで気性も荒かったフェデラーはニューボールズの中でも決して人気はなかったのですが、NO.1となってしばらくしてフェデラー自身がそれに相応しい存在になっていきました。コート上の振る舞いが目に見えてよくなり、長髪を切り捨て、そして矢のようなフォアハンドを中心に次々とポイントを奪っていく鮮やかなプレースタイルは驚くほど洗練されていました。  一方ナダルはその野性味が支持されました。何から何までナダルはフェデラーと対照的でした。物凄いスピンのかかった、ボールを潰すような凶暴なフォアハンド(エッグボール)、クレーコートで見せる信じられないレベルの強さ。クレーコートでナダルからウィナーを奪うのは至難の業でした、どんなボールにも追いついてものの見事に返すのです。二強が強くテニス界に君臨したことで世界中のテニスファンが戻ってきました。そしてグランドスラムはお互いの牙城を崩し合う決戦の場となりました。フェデラーが何度となくナダルの庭であるクレーコートに挑んでは跳ね返され、ナダルもまたフェデラーの君臨するウィンブルドンへ挑み06,07年と敗退したのです。若きナダルのフェデラーへの挑戦の象徴が07年ウィンブルドンでしょう。ナダルが終始有利に試合を進め、最終セットも何度となくBPを握ったのですが、最後の最後でフェデラーが踏ん張り勝利を収めています。 【ナンバースリー】  05年はロディックが、06年にはダビデンコが3位に入りました。ナダルを除けばまだニューボールズ世代のメンバーが数多く上位にいました。しかし07年に3位に入ったのは当時20歳のジョコビッチ。フェデラーとナダルが凌ぎを削り合う裏でしっかり実力をつけていました。  また前記事でフェデラーの成績表を貼りましたが、2006年が92勝5敗という驚異的な戦績です。この年のフェデラーに土をつけたのはたった二人、ナダルに4敗、そしてシンシナティ2回戦でマレーに敗退しているのです。マレーは今年の最終戦でフェデラーに敗北を喫するまで常にフェデラーとの対戦成績を五分以上に保ってきました。  この二人が2008年以降BIG4として加わるのは自然な流れだったのかもしれません。第3回では08~10年の3年間の歴史をお送りする予定です。