先週の話ですが、チリのテニス協会から「コルダが全豪に遡ってドーピングしていたことが確認できた場合、リオスが全豪優勝できるようにITFに対して再調査を求めていく」という旨の声明が突然発表されました(TENNIS DAILYの記事)。突然降って湧いたようなこの発表。整理すると以下のようになります。  マルセロ・リオスはチリで最も活躍したテニスプレイヤーですが、男子で現在に至るまでただ一人の「無冠の帝王」であるという不名誉な記録を持っています。世界ランク1位になったにもかかわらずグランドスラムの優勝がないのです。そのリオスが唯一GS決勝に進出したのが1998年の全豪。しかしこの決勝は当時30歳のペトル・コルダにストレート負けの完敗でした、それ以降は準決勝に進むことすらできずに現役を終えています。  だがその全豪決勝から半年後事件がありました。ウィンブルドンにおいてコルダがドーピング検査にひっかかってしまったのです。しかしその事実が公表されたのはそれからさらに半年後のシーズンオフ(コルダはベスト8敗退)。そして処分が決まったのはさらに半年後の1999年8月とITFとATPが終始稚拙な対応しかできないでいるうちに、31歳になったコルダは処分発表の2か月前に現役引退して逃げ切ってしまいました。97年以降見事に復活したコルダが全豪時すでに薬物に手を染めていた可能性は確かに考えられます。他スポーツではアームストロングのように全タイトルを剥奪された例もありますが、しかしそのタイトルをリオスに与えるか、と言われるとその可能性はほぼないだろうと言わざるを得ません。もし厳しい対応を取るとしても、剥奪により優勝者なしとするのが妥当な気がします。  テニス界でも事例は多くないですが、薬物事件と全く無縁というわけではありません。この機会に少し見てみましょう。 【1997年】  アンドレ・アガシが興奮剤メタンフェタミンを使用する(09年発表の自伝にて認める)。アガシによると、嘘の釈明を行って謝罪したところ当時のATPによって見逃されたとのことである。コルダの時の対応と似たものを感じます。 【1998年】  コルダの事件。コルダの引退によって真相はうやむやのまま終了。 【2001年】  のち04年に世界ランク3位、全仏準優勝の実績を残すことになるコリアがまだ19歳の頃、過失によりドーピング検査陽性となり7か月の処分を受ける。コリアは後に薬品会社を提訴して賠償金を手にしている。 【2005年】  ツアー通算8勝、元世界ランク8位カナスのドーピング(禁止薬物ヒドロクロロチアシド)が発覚し、ITFによって2年間の出場停止処分を受ける。さらにこの年の全仏で準優勝した元世界ランク9位のプエルタが試合後の検査で禁止薬物エチレフリンに陽性を示していたことが明らかになる。この検査結果がわかったのがプエルタが第1シードとして参戦していたジャパン・オープンの時だったため、日本でも報道され大会は騒然となった。プエルタの処分は重く見られ出場停止8年という非常に重い処分(のち2年に軽減)が下され、プエルタの現役生活は実質終止符を打たれることになった。  この激震以降、テニス界もようやくドーピング対策に本腰を入れ始めたようです。 【2007年】  ウィンブルドンにおいて、一度目の引退から現役復帰し活躍していた女子テニスのスター、マルチナ・ヒンギスのコカインに対する陽性が発覚。ITFから処分を下される前にヒンギスは二度目の引退を発表し表舞台から退きます(のちに下された処分は2年間出場停止)。大スターの最後としてはあまりにも残念な幕切れでした。なお、後にヒンギスはダブルスで二度目の現役復帰を果たし今も活動中です。 【2009年】  ここからは現役選手の話題になります。ガスケがドーピング検査で陽性となったのがこの年です。原因はコカイン。ガスケはバーでコカイン常習者の女性とキスをしたことでコカインが移り、直後のドーピング検査で陽性となってしまったとのこと。その後コカインの残留状況などからガスケの主張が認められ、ガスケの処分は暫定的にとられた2か月半のみとなりました。ITFとWADA(反ドーピング機構)は処分を不服として提訴を行ったものの、スポーツ仲裁裁判所(CAS)はガスケの主張を認めて提訴を退けています。  この年はアガシが先述の自伝を発表した年でもあります(当時のWOWOW記事)。だが、この件に関してATPは現在に至るまで何の処分も行っていません。 【2012年】  アームストロング問題。アームストロングの永久追放に伴い、所属チームのチームドクターだったルイスガルシア・デル・モラルの責任も追及され永久追放となりました。彼はテニスにも関与しており、フェレール、サフィン兄妹、エラーニ、キリレンコなどを担当していたと言われています(英語ソース)。幸いにも、彼らの中でドーピング検査が陽性となった選手はいません。  この年の年末にオーストラリアテニス協会による特集記事が上がっています。当時のテニス界の状況を読み取ることができる貴重な資料です。 【2013年】  生体パスポートの導入が発表されたテニス界で2件の事件が相次いで起こりました。まずはトロイツキ。トロイツキは体調不良を理由としてモンテカルロMS後の血液検査を拒否しました。おそらく本人も大事になるとは思っていなかったでしょう。本人のコメントによれば検査官本人は一旦それを了承した(ここが検査官、トロイツキ両者の過失で、本来いかなる理由があっても検査を回避させてはいけない)とのことですが、これが検査の忌避と判断され出場停止1年半の厳罰(のちに1年に短縮)となってしまいました。トロイツキは親友ジョコビッチのサポート受けつつ練習を続け1年後復帰。今年は復活優勝を飾るなどランキングを39位まで戻してきています。  どんな状況でも検査官の検査を拒否できないというドーピング検査の鉄則はこの前例によって徹底された面もあると思われます。検査の厳しさについては(錦織、クルム伊達、マレー)などの各事例を見てみるとよくわかります。それでもマレーはさらなる検査の充実を求めていますし、ジョコビッチやフェデラーも同様のコメントを何度も発表しています。  その直後チリッチがミュンヘン(ATP250)でのドーピング検査で陽性となりました。禁止薬物ニケタミドの検出によるものでした。チリッチ側の証言を信じるならば、チームスタッフが薬局で購入したものに含まれていて、チリッチ自身はその薬品に禁止薬物が含まれていることを知らなかった…ということになります。過失ですが立派な違反です。ドーピング検査において選手自身の摂取する薬剤や健康食品などはすべて自己責任となっているからです。テニス選手に限らずスポーツ選手は風邪薬一つすら容易に飲むことはできないのです。チリッチは9か月出場停止処分(のち4か月に軽減)を経てシーズン最終盤より復帰しています。