前編の続きです。 【史上最強の戦い】  共に激戦を戦った二人でしたが、より楽に勝ち上がりしかも休養が一日多いナダルのほうがコンディションは有利でした。だがそれをもってしてもなおこの二人の対戦はジョコビッチ有利と言わざるを得ませんでした。何せジョコビッチはナダルに対して6連勝中なのです。しかもここはハードコートの全豪。クレーですら勝てなかったナダルに術はないように見えました。  第1セットから激しい打ち合いが展開されました。恐ろしいまでにハイレベルなストロークの打ち合い。だがジョコビッチにミスが多く出た分だけナダルがわずかに上回り、5-5からブレイクを奪うと最後BPを凌ぎながらキープしてまず1セットアップ。  だが第2セットから調子の上がってきたジョコビッチがナダルを押しこみ、そしてラリーを支配し始めました。ナダルも必死に食らいつくのですがその差が徐々に、ほんのわずかづつ開いていきます。6-4で第2セットジョコビッチ、第3セット6-2ジョコビッチ。  第4セット第8ゲームナダルサーブ、ジョコビッチが0-40としました。ついに万事休すか…。だがここからナダルはフォアとサーブを叩き込んで2本返すと、最後はジョコビッチのフォアDTLにバックDTLを合わせて返す見事なショットで追いつき、このゲームを凌ぎます。  迎えたタイブレークはこれまでで最高の打ち合いとなりました。しばき合いの末一旦はジョコビッチが5-3とリードを奪いましたが食らいつくナダルの執念の前にストロークの精度がわずかに乱れました。ここから4連続でポイントを奪ったナダルが第4セットを取り返したのです。この時点で試合時間は既に4時間39分。   【死闘の結末】  30度目の対戦にして始めてフルセットにもつれた二人。勢いは第4セットを取り返したナダルにありました。第1セットと第4セットでセットを奪った立役者の1stサーブでポイントを稼ぎ、多少強引な姿勢からもパワフルなフォアハンドをどんどん叩き込み主導権を握りに行きます。押し返しに行ったジョコビッチはナダルの鉄壁の守備に阻まれ、逆にフォアのDTLを食らってブレイクを許してしまいます、ナダル4-2。  ナダルの勝利まであとキープ2つ。ナダルは30-15からパッシングショットを食らわせジョコビッチの甘い返球をオープンコートに叩き込んだのですが…それがわずかに横に逸れました、痛恨のミス。生き返ったジョコビッチはバックハンドから強打を連発して即座にブレイクバック。  セットカウント2-2、ゲームカウント4-4。試合開始から5時間半近くが経ち、両者とも限界に達しつつありました。それでも今日一番のラリーが出ます。ナダルキープ、ジョコビッチキープ、5-5。いつ終わるともわからない死闘でしたが、再び両者の間にわずかな差が生まれてきました、ナダルが少し足が動かなくなった瞬間に、ジョコビッチがそれを逃さず振り回してナダルのミスを誘います。一度は凌いだナダルでしたが最後はスライスがネットにかかりジョコビッチがブレイク。  それでもこの試合はまだ終わりではありませんでした。ジョコビッチは30-15からスマッシュを失敗。続くポイントをナダルが制して30-40とBPを迎えたのです。だがナダルの反撃はここまで。全身全霊のバックハンドをクロスに叩き込んでピンチを凌いだジョコビッチがデュースを制して勝利を収めました。試合時間は5時間53分。もちろん全豪OP最長記録であり、そしてあの08年ウィンブルドン・フェデラーVSナダル戦をも越えグランドスラム決勝史上最長記録となったのです。表彰式では激闘を戦った両者のために椅子が用意される特例まで設けられました。 【その後】  優勝したジョコビッチだけでなくBIG4全員の強さを見せつけた大会でした。激戦を制したジョコビッチは徐々に安定期に入っていき、そして他のBIG4の反撃が始まります。クレーシーズンはナダルがジョコビッチに昨年のリベンジを果たし直接対決3連勝、そして全仏3連覇。フェデラーは前半戦だけでツアー4勝を挙げる快進撃でウィンブルドンに乗り込むと直接対決でジョコビッチ、マレーを下しウィンブルドン制覇、世界1位復帰。逆に直後のロンドン五輪では地元マレーがフェデラーを下して見事金メダル。そして全米では全豪に続いてのジョコビッチとの死闘を制したマレーが涙のGS初優勝。ツアーファイナルズ決勝ではジョコビッチとフェデラーによる頂上決戦が繰り広げられ、激戦の末ジョコビッチがこれをねじ伏せました。男子テニス界にとってこれほど充実した一年があったでしょうか。  一方で男子テニス界の固定化も加速していきます。BIG4だけでなくフェレール(全仏全米ベスト4、パリMS優勝)やベルディヒ(全米ベスト4)、ツォンガ(ウィンブルドンベスト4)、デルポトロ(五輪銅メダル)も随所で好成績を残し他の選手につけいる隙を与えません。BIG4に続くいわゆる第二グループまで形成されたテニス界はデルポトロが8位に復帰して以降完全に固定化されてしまったのです…