夢の再来を期待された全豪オープンではベスト8での敗退となった錦織圭。 前年度覇者のバブリンカに及ばず、という内容に色んな声が聞こえて来る今日この頃。 私としての感想は、一言で言うとあの日のバブリンカは強かった、というだけです。(回顧記事書いてなくて申し訳ありません。。) やはりGSにおける前年度覇者というものは特別なものです。 優勝して獲得した2000pもの巨大なポイントを守らなくてはなりません。 あの日バブリンカが錦織に敗れていたならば、ポイントは差し引き-1640p。 ランクの維持にも大きな大きな影響を与えることは必至でしたし、王者としてのプライド、さらには全米の雪辱と、一歩踏み外せばプレッシャーにもなりかねない要素を、バブリンカはこれを見事にエネルギーへと昇華して錦織を迎え撃ちました。 それでも第3セットのタイブレーク、バブリンカ6-1からマッチポイントを5本凌がれて並ばれたときには相当肝を冷やしたことでしょう。 勝利者インタビューでも「まだ興奮している」というほどの戦慄を覚え、プレッシャーを与えられた。 結局はストレート負け、されど錦織が残したあのインパクトは、確実にバブリンカの脳裏に焼き付いたことでしょう。 敗戦自体は残念でしたが、次戦が楽しみに思える対戦だったと思います。 その後のバブリンカはQFでジョコビッチに惜敗するも、現在開催中のATP500ロッテルダムではラオニッチを下し決勝進出と好調を維持。 ATPファイナルの錦織、全豪のバブリンカ、マレーと、ジョコビッチに最後はベーグルを焼かれるという点で共通していることも面白いですね。 つまりは錦織の現在の立ち位置はそうした選手達と同じ場所であるということ、トップ中のトップの僅かに下、されどその僅かながらも大きな差をいかにして詰めていくかを模索している、挑戦しているところであるということです。 世界ランク5位という立ち位置が、現在の錦織圭に相応しいものであるということを証明した大会であったと思います。 ですが来る全仏オープンに向けては、守るべきポイントも錦織は多いことも見逃せません。 メンフィスWの250p マイアミSFの360p バルセロナWの500p マドリードFの600p これに更なる上積みをし、目指すべき頂上へと向かうべく、陣営も戦略を練り、追い込んでいくのでしょう。 不運な怪我がないことを祈りつつ、これからへの期待をしたいところです。 しかし- 全米での活躍から注目を一身に浴び、老若男女に認知される現代のスーパースターとなった錦織ですから、報道も色々なところから色々な形で発信されることが多くなってきました。 今まで見向きもしなかったメディアでさえ、我先にと錦織の生い立ちから学生時代、ATPツアーの仕組みなども、まぁ微妙な精度だったりしますが放送されるようになっています。 こうしたくり返しの露出から、今までテニスを見てこなかった人たちに認知され、また錦織圭自身の持つ人となりが共感を呼び、人気を集めているということも頷けます。 要はそれだけ、「報道の力」というものは大きいという事です。 今日のヤフーニュースを見ていると、人気記事の中に 「錦織圭とコーチ(マイケル・チャン)が受けた「人種差別」 よく耐えた、よく乗り越えた 全豪オープン、無念のベスト8」 というものがありました。 刺激的なタイトルと、ある意味日本人好みなストーリーに仕立てられた内容で、ヤフコメの皆様も概ね好評価をされているように見受けられました。 しかしこの「人種差別」という部分にスポットが当てられた前半部分は、これはハッキリ言って大袈裟なもので、人の誤解を招くものです。 ある特定の記者の発言を丸呑みにして、まるでそれが欧米人の総意であるかのようなものとして記事が書かれています。 その中でも2013年の全仏オープンでのペールとの一戦、そこで起きた観客の応援、ブーイングについても触れられていますが、これも私の見解とは大きく異なるものです。 あの試合は私も見ていましたが、ペールがコーチにアドバイスを受けたという警告を受けたのが2度目で、デュースのADが消された場面だったと記憶しています。 これに猛抗議をしたペールと、それに乗っかかる形で、観客の多くが地鳴りのようなブーイングを上げました。 それはもう錦織がサービスを打つことも躊躇する程で、ゲームが再開された後もそれが尾を引いた形となり、明らかにプレーに支障が出ていました。 結局このセットは錦織が落としてしまい、フランスの観客は大盛り上がり。 最終的に錦織が試合には勝ったのですが、見ていた私も、ペールと観客に対して怒りを覚えたものです、何だこいつらと。 しかしながらこれは、ひとつの判定をきっかけに起きた特殊な状況でのこと。 「観客たちの頭には、アジア人に対する蔑視があったはずです」という記述は、明らかに「人種差別」というテーマから話を本題に持っていきたい、という執筆者の意図が窺えます。 ましてやペールは地元期待の若手選手、彼の性格や、フランス人観客の激しい気性も相まっての出来事だったと、あの試合を見ていた誰もが感じていたことと思うのです。 ブーイングは錦織が日本人だから起きたものだった? 日本人、アジア人であることが理由で送られたブーイングだったんですか? そんな論ずるにも値しないようなことを、ここにきて引っ張り出してネタにすることには首をかしげてしまいます。 ならば今年の全豪でのキリオス対セッピの観客のあの盛り上がりは、「観客たちの頭には、イタリア人に対する蔑視があったはず」なのか? ジャパンオープンで錦織と対戦したアルマグロ(2013)やドディグ(2014)が、試合中あまりに偏った声援を送られていることや、プレー中の声援など観客に対して激怒していたシーンがありましたよね。 それは日本人観客たちの頭には、スペイン人やクロアチア人に対する蔑視があったからなのですか? 全く違うんですよ。 観戦マナーは別にしても、観客は自国の選手を応援しているんです。 勝ってほしいんですよ。 「観客たちの頭には、~~人に対する蔑視があったはずです」 なんて見方をしていた観客なんてどれだけの割合だったのか、理解に苦しむところです。 その後の抜き打ちドーピングのくだりにしても、これは日本人選手だけに限ったことではありません。 記事後半のマイケル・チャンの部分とリンクさせたかったのでしょうか。 いい部分もあると思うところもある記事だけに、非常に残念な「演出」だと私は思います。 そりゃ差別的な扱いを受けたこともゼロではないでしょう。 例えばウィンブルドンでもディミトロフはアーリーラウンドでセンター、錦織は駐車場みたいな場所に配置されて「は?」とも思いましたよ。 しかしそれって人種差別でしょうか? ディミトロフへの期待、また彼を売り出したい都合、錦織にしても日本人をまとめて同じコートで行うことで中継しやすくなるTV局の都合、色々あると思うんです。 それを一つの視点から、ポジティブなものならまだしも、「人種差別」という、非常にデリケートな題材を利用してメディアが「演出」をするということ、これは非常に危険なことだと私は思います。 私に近い意見のヤフコメは、「私はそう思わない」に大きく振れていました。 えっ、自分の見方がおかしいのか?という疑問。 冒頭にも申し上げたように、メディアの力は本当に大きいんです。 事実、あの記事の思惑通りに共感している方も、コメントやTwitterを見てもたくさんおられました。 でもそれって少し違うと思うし、普段から錦織を応援している外国人ファンにとても失礼だと思います。 全米オープンから巻き起こった日本での錦織フィーバーよりも遙かに前から応援している外国人ファンは、世界中にたくさんいるんですよ。 だいたい差別を受けたなんて本人は言っていませんし、翻訳のニュアンスから、もしも本人がそう言ったと誤解されて外国人ファンに伝わったならどうでしょう、世界の錦織ファンはがっかりでしょう。 特定の思想や視点のために、錦織を利用しないでほしいと、私はこのブログでもたびたび言ってきました。 この才能を、人物を、使い捨てのように消費して足を引っ張ることは、日本の大きな損失ということを、メディアの方々には分かってほしい。 素晴らしい記者の方、メディアの方もたくさんいるんです。 でもどんな雑誌でも、メディアでも、プロの記者としてのとしてのプライドを見せてほしいなと思います。 これからの錦織への期待はもちろんですが、メディアの方々も「マスゴミ」なんて呼ばれなくなってほしい、私はこの感動を伝える報道機関の方たちにも大きな期待を寄せています。 私はプロのテニス選手でも、プロの記者でもありません、ただのテニスファン、スポーツファンです。 そんな人間の声でも、少しでも届いてくれたらとこの記事を書きました。 メンフィスでは苦戦の連続、それでも決勝に勝ち上がってきた錦織圭。 苦戦の原因はラケットへの対応か、それとも。 興味深いのは、「(連覇への重圧は)ほとんどない。(3連覇)できればいいけど、できなくてもそんなに…」 という発言。 今日の試合中、解説の坂本正秀さんの「大会中にも午前・午後と追い込んでトレーニングをしている」という発言からも明らかなように、この大会でのミッションは「優勝すること」だけに留まっていないのでしょう。 GS2週目への適応、マスターズでの連戦、先を見据えたチャレンジが水面下で行われているのでしょうか。 そんな中で勝ち得る経験は特別なものでしょう。 明日のケビン・アンダーソンとの決勝戦は、そういう意味でも目が離せないものになりますね。 毎度のことですが怪我がないことを祈りつつ、楽しみましょう。 長文・乱文ですがお付き合い頂きありがとうございました。