その1の続き。ここではフェデラーとナダル中心に書いています。 【フェデラーの不振】  モノを患い回復しきれずにジョコビッチに敗れた08全豪以来、徐々にフェデラーに陰りが見られるようになっていきます。それでも全仏ではいつもどおり決勝に上がってきたものの、目を覆いたくなるような惨敗。いくらクレーのナダルが相手とはいえグランドスラム決勝で6-0という屈辱的なスコアを食らってしまいます。続くウィンブルドンでは有名な「テニス史上最高の決戦」5時間の死闘の末、ついにナダルにWB王者の座を明け渡し、同時に4年以上守り続けた世界ランク1位の座まで譲ってしまったのです。北京オリンピックでもベスト8に終わります。  全米ではなんとか意地を見せて優勝したもののフェデラーの不振は終わりませんでした。最終戦で初めてRR敗退(今年まで含めてもたった一度の敗退)を喫しさらに翌年の全豪、今度はハードコートでもナダルに屈しました。全豪の表彰式で悔し泣きするフェデラー、これをもって彼は完全に終わった、これからはナダルの時代だ。多くの人がそう思いました。09年に入るとジョコビッチとマレーも一気にフェデラーに迫ってきます。マイアミ,ローマとジョコビッチに連敗し、マレーに対してはインディアンウェルズで敗れてなんと4連敗… 【ナダル、フェデラー、そしてナダル】  順調に世代交代が実現するかのように思われた矢先でした。全仏前最後のMS、クレーのマドリッドでナダルがフェデラーに敗れるという事件が起こったのです。このとき既にナダルの膝は悲鳴を上げていました。全仏に臨んだナダルはいつものように順調に勝ち上がったように見えましたが4回戦でソダーリングの強打の前に屈し、全仏での無敗記録は4連覇、31連勝でストップしました。その機を逃すフェデラーではありません。全豪では一蹴したデルポトロが覚醒し、準決勝で牙を向いてきましたが死闘の末逆転勝ち。決勝ではソダーリングを下してついに生涯グランドスラムを達成したのです。  フェデラーはその後ナダルの欠場したWBで優勝し世界ランク1位復帰、全米こそ自滅して準優勝に終わったものの翌年の全豪も制しました。だが29歳を迎えようとするフェデラーには再び衰えが見えてくるようになり、その代わりクレーシーズンの訪れとともにナダルが完全復活を果たします。モンテカルロ、ローマ、マドリッド、全仏と4大会連続優勝であっという間に世界1位に返り咲くとWB準決勝ではマレーをストレートで下してイギリスの悲願を打ち砕きそのまま優勝。ナダルの勢いはまだ止まりません、全米でもフェデラーを破ったジョコビッチを下して生涯グランドスラムを達成したのです。まさに全盛期を迎えたナダルは翌年の全豪に大記録を懸けることになりました。フェデラーでも達成できなかった、グランドスラムの4連勝です。 【過度期、そして真の4強時代へ】  09年、10年はこのように覇権がめまぐるしく入れ替り、フェデラーナダルともに安定しない時期が少なくない期間ありました。そのためマレーやジョコビッチが一瞬2位になることもあり、また主要大会で4強以外の優勝者も比較的多く出てきました。中でもデルポトロとソダーリングは一瞬世界ランク4位の座も奪いましたが残念ながら怪我や病気に泣きました。  だが2010年の年末には2つ大きな出来事がありました。一つは最終戦、この年の最終戦は準決勝に4強が勢揃いしたのです。そしてナダル、フェデラーがマレー、ジョコビッチをきっちり撃退し、決勝はアナコーンをコーチにつけて以降再び勢いに乗り始めたフェデラーが5度目の優勝を果たしました。そしてもうひとつ、デビスカップ決勝でジョコビッチ率いるセルビアが優勝しています。ジョコビッチは大車輪の活躍で7戦全勝、セルビアの優勝に大きく貢献します。ジョコビッチはこの年から「グルテンフリー」を始めていました。軽い小麦アレルギーであることが判明したジョコビッチはグルテンフリーによって生まれ変わりました、フィジカル面の負担が一気に減少したのです。  そして、ナダルの大記録に大きな注目が集まる中で2011年を迎えます…