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セレナの偉業達成で、再注目されたセレスの伝説

20141028_seles_k2 年間ランク上位8人で争われる女子ツアーの最終戦、BNPパリバ・WTAファイナルズ決勝で、世界ランク1位のセレナ・ウイリアムズが、同ランク3位のシモーナ・ハレプを破り、大会3連覇を果たしました。 偉業を成し遂げたセレナですが、この活躍で再び注目を浴びたのが、セレナの前に同大会で3連覇を成し遂げた、モニカ・セレス。 今回は、1990年代に天才少女として大活躍し、その後、テニス史上最悪の事件にも巻き込まれることとなった、女子テニス界のレジェンド、モニカ・セレスについて改めて振り返ります。

突如として現れた、天才少女セレス

20141028_seles_k1 1989年、15歳でプロ転向したセレスは、いきなり頭角を表しました。 両方両手打ちの強力なストロークを武器に、元世界ランク1位のクリス・エバートを破って、WTAツアーでいきなり優勝を果たしたのです。 そして翌年には、当時の絶対女王シュテフィ・グラフを破って、全仏オープンを制覇。16歳6ヶ月での優勝は、同大会最年少記録として未だに破られていない、とてつもない記録です。 その後も大活躍を続けたセレスは、10代のうちに、四大大会を計8度制覇。全豪オープンと全仏オープンでは、3連覇を成し遂げました。 3連覇を決めた全豪オープンの決勝では、当時ライバル関係にあったグラフと、フルセットの大激戦を演じました。 20141028_selesgraf_k1 当時、誰も攻略できなかった、グラフの滑るバックハンドスライス。 しかしセレスは、両手打ちのストロークで、見事に打ち抜いています! 試合のハイライトがこちら。

Original:Australian Open TV

この優勝で、世界中のテニスファンが、グラフ時代の終焉を感じさせられました。 しかし、この3ヶ月後、セレスはテニス史上最悪の事件に巻き込まれてしまいます。

セレスを襲った、テニス史上最悪の事件

20141028_seles_k3 photo:Andrew

1993年、グラフの祖国ドイツで行われた試合の準々決勝で、当時19歳だったセレスは、試合中に突如乱入してきた暴漢に、刃物で背中を刺されます。 後にこの観客は、グラフの熱狂的ファンであったことが分かっています。 この事件により、セレスは2年4ヶ月の間、ツアー離脱を余儀なくされました。 復帰の翌年、セレスは再び全豪オープンを制覇しますが、その後はマルチナ・ヒンギスや、冒頭で挙げたセレナとビーナスのウイリアムズ姉妹の台頭、そして故障にも悩まされ、四大大会のタイトルは獲れず。2003年を最後に、ツアーから離れました。 波瀾万丈のテニス人生を送ったセレスですが、世界に衝撃を与えた圧倒的な強さ、両手打ちの強烈なストロークは、今もなお、世界中のテニスファンの記憶に焼き付いています。 [sns]