3か月近く当ブログの更新をせず過ごしました。 その間、スポナビブログのサービス終了の通知もありました。私の場合、このような執筆活動は米国駐在の期間限定活動だろうと半ば覚悟していたわけで、「きっと来年の全米まで続かないだろうな」という予感も薄々あり、それが数か月早まっただけと受け止めています。そして今、米国で放映される数少ない日本のニュースの中で錦織選手の最新映像を目にし、久々に記事を書いてみようと思いました。 この数年、日本滞在時に比べて圧倒的に観戦環境に恵まれたアメリカに身を置き、錦織選手に限らず多くの選手の試合を高揚感とともに見守ってきました。トーナメントの大半を占める欧米開催大会を昼間に観戦できる米国東部標準時間帯、テニス番組を一日中観ていられるケーブルテレビ環境、時には衝動的に会場に足を運べる地理的条件など、本当にテニスファン冥利に尽きる環境でした。そして何より、米メディアの報道や米国のテニスファンに囲まれ、日本バイアスとは違った感覚で観戦できること、全米オープンの生の空気に触れられることで、他のブロガーさんとは違った味も出せるのではないかと思ったのがブログ執筆動機でした。それもどうやら潮時ということでしょう。 そしてもう一つ、大きな執筆動機がありました。初回の投稿記事に書いたように、錦織選手の位置取りや期待に関する自分なりの修正努力でした。2014年のフィーバーのあと、ファンの中には、「ポストBIG4世代のトップ候補」、「将来の世界ランク1位候補」のような応援姿勢も増え、私自身は少々息苦しくなってきたのです。「勝ち続けるフィジカルの獲得は難しいが、上限は高い選手なので、条件が揃った時に一発」「取りこぼしやランキング下降は大目に見る」というのが私の一貫した応援姿勢です。その思いは益々強まっています。いや、最新の取材で錦織本人が語った手首の状態、いまだ残る痛みへの不安と闘いながら、復帰後に明らかになるであろう戦術変化に、ファンの我々もこの先もう一段の調整が必要になるかもしれません。 私は極めて身近な体験もあり、アスリートと負傷の関係、手術と温存療法の選択、再発の恐怖と戦うメンタルなどについて、涙が出るような思いで、自身が見知ったことを投影してしまうところがあります。復帰後の錦織選手に対しても同じです。どこかとぼけた、あの茫洋とした表情にうっすら滲む不安、そしてそれを克服しようとする覚悟に、いつの日か涙してしまいそうです。 振り返ると私は、スポナビブログの参加者として、あまりマメな投稿者ではありませんでした。トーナメントのたびにドロー解説をしっかり書き上げる方、ポイント獲得・失効による順位変動を緻密に計算する方、トーナメントの進行に合わせ試合レビューを着実に更新する方。そんな皆様がいる中、私はマイペースで参加し、気力体力で自分を追い込むこともなく、楽しんで記事を書かせてもらいました。仮に、「スポナビテニス班」という執筆チームがあったとすれば、私は基調記事や社説を書くようなデスクから遠く離れ、時々思い出したように記事を提供する非正規特派員のようなものでよいと、態度を決め込んでいた部分もありました。 個人開設のブログであれば、読者からの期待を単独で背負うわけで、その責任を果たすための苦難も多くあるだろうと推察しますが、スポナビ形式であれば、私のような参加姿勢でも続けられます。おまけに、他のブログ目当ての読者も自分の記事を眺めてくれますので、温かいコメントなど頂戴しながら、色んな意味で充実した活動が出来ました。職業記者であれば、2017年シーズン終盤は、ディミトロフ、ソック、ゴファンへの賞賛記事を上げるべきところでしょうが、私には、それを書こうという「内なる思い」がどうしても湧き上がらなかったことも白状しておきます。各選手の実力は認めつつも、長らく続いたBIG4寡占時代のタイトルと同質のものとはどうしても思えなかったからです。 不特定多数の読者に対して意見を発信する場合、賞賛記事というのは比較的容易です。心情的に敵も作りづらいですし、理論的にも立証責任をあまり問われません。しかし、批判記事はそうはいきません。自分なりに合理的根拠を示したとしても、違った立場の読み手から厳しい意見をもらうことは必至で、特に匿名性の高いネット社会では、ブログ主ばかりが精神を摩耗することもあります。ここスポナビでも何度かそういう展開を見ました。私は気楽な素人ブロガーとして、意図的にその種の投稿を避けてきましたが、偏愛に満ちた私の内面がそこまで「いい人」であるわけがありません。時には炎上覚悟で極端な自説を主張しようと思ったこともありますが、書き切れなかったのは私の矜持の不足、限界です。 *** さて、2017年シーズンが終わり(デ杯除き)、足元の状況と今後について、思う所を少しだけ書かせていただきます。終わってみれば、2017年スタート当初に私が抱いたイメージ通りの1年を送った選手もいます。多くの主力選手に負傷が絡んだことで程度の違いはありますが、甘めの採点であれば、方向感として当たったと言えるのが、マレー、ジョコビッチ、ワウリンカの失速、A.ズべレフの躍進、ディミトロフの覚醒、チリッチのジリ高、ティエムの横這い(よく言えば上位定着、悪く言えば足踏み)など。一方、それなりに見せ場はあったが期待を下振れたのがキリオスとプイユ、上振れたのがゴファンとソックです。そして極めつけの大ハズレは・・・フェデラーとナダルの大復活、そして錦織の不振と離脱です。テニス界の2枚看板の「今年」を見誤った今、トータルの自己採点は激辛やむなしです。 さて来年です。見事な復活を遂げたとはいえ、加齢というアスリートの宿命に目をつむることもできません。フェデラーとナダルの活躍は、第2次長期政権の始まりとはどうしても思えず、出場トーナメント自体を絞り込む可能性とともに、コンディションによっては他の選手がつけ入る隙が大いにある斑模様な状態と見ています。 ジョコビッチやマレーのようなスタイルは気力体力の高いレベルでの充実を求めるので、ケガが癒えて復帰しても、2015年~2016年のトップ・オブ・トップ状態に戻すのは極めて困難でしょう。ワウリンカも底力の衰えが隠せないと見ています。そんなわけで、2018年の男子テニス界は、グランドスラム覇者に新顔が大挙して登場する年になる気がしています。全仏のナダル、ウィンブルドンのフェデラーの壁は厚いでしょうが、両ベテランに今年の再現を許すほど、追っ手も甘くはないと思います。 デルポトロ、チリッチといったGS優勝経験者の2度目の戴冠もありえますが、下手をすると、4大会全部が新顔になりかねないとも考えています。今この瞬間は、ディミトロフ、A.ズべレフ、ゴファン、ティエムといった面々が想像しやすいところですが、上限の高さでは引けをとらないキリオス、覚醒の気配が漂うソックあたりも射程圏。加えて、いつブレークスルーしてもおかしくないシャポバロフ、ルベレフ、ハチャノフといった若手に加え、地味に凄いカレノ=ブスタやプイユも流れ次第では上位進出可能。ネクストジェン・ファイナルズの覇者チョン・ヒョンだって、かなり勝ち上がる大会があるような気がします。あとは、2017年のクエリーやアンダーソンのように、サーブを武器とするベテランも一発があるかもしれない。 錦織やラオニッチが手に入れていないMSタイトルがA.スべレフ、ディミトロフ、ソックに行き渡った今、時代の巡り合わせのやるせなさとともに、「無事これ名馬」のシンプルな事実を再認識してしまいます。そして、来たる2018年の現実は、BIG4という異常な高原状態の終焉を示すとともに、普通の強豪選手に広くタイトルが行き渡る通常状態への移行を示唆するのではないかと想像しています。 そんな時代に「錦織選手の優勝なんてありえない」なんて誰が言い切れましょう。 ケガから復活してコートに立てた時、上位選手としっかり戦い抜けた時、それぞれの瞬間をファンとして思い切り喜び、「夢の復活」を実感できれば最高です。私のアメリカ駐在生活を彩った錦織選手に深い感謝の気持ちを込めまして、その時を虎視眈々と待ちたいと思います。 錦織選手が最近になって述懐する「若手台頭のプレッシャー」、守るべきものが多い時ほど、それはきっと重いものだったでしょう。しかし、それはもはや恐れや脅威ではなく既知の事実です。ケガで離脱した今となっては、却って消化しやすく、チャレンジャーとしてモチベーションを高められる材料になるのではないでしょうか。 2018年、私もファンとして、錦織選手とともに「上を目指す」楽しみを再び味わいたいと思います。選手に強さを求めるように、ファンとしても、強くしぶとくありたい。 錦織選手とライバル選手たち、スポナビブログの皆さま、どうもありがとうございました。