時々Yahooのトップにもなる、在米ゴルフジャーナリストの舩越園子さんの記事が好きだ。技術的なことではなく、ゴルファーそれぞれの心に落ちる光や影を独特の視点でとらえていて、胸に沁みたり、うなずかされたりする。時にユーモアを交えてあたたかく、時に厳しく、ゴルフとゴルフにまつわるものへの愛情がひしひしと伝わってくる。7月の全英オープンの直前に、当時世界ランク1位だったローリー・マキロイが趣味のサッカーでケガをして、あっけらかんと欠場を発表した時の、チャンピオンとしての自覚の欠如を痛烈に指摘する記事には、そうだそうだと溜飲の下がる思いだった。  先日アップされた記事は、タイガー・ウッズを書いたものだった。長く不振が続くタイガーが、アメリカツアーのプレーオフ出場権を得るために、全盛期には出たことのない小さな大会で優勝を目指す、その意味と意義について書かれていた。その時点で世界ランク286位のタイガー。優勝の可能性は低い。落武者が恥を忍んで、とも言える状況に、周りからはクレイジーという声も聞こえる。でも彼はあきらめずにチャレンジし、衰えたとはいえ、スーパースターの参戦に、小さな大会とそのギャラリーたちは大いに湧く。「恥」や「クレイジー」に、あのウッズが挑んでいるからこぞ、人々に夢や希望や勇気を与えるのだ、と筆者は言う。  同じく長い不振にあえぐナダルのことを思う。もうここのところずっと、試合に出るたびにやいのやいの言われて、負けるたびにやっぱりかもう終わったかと言われ、つらいだけじゃん、しんどいだけじゃん、もうやめてもいいのに、と目を閉じたい気持ちでいっぱいになることが多かった。  タイガー・ウッズは、起死回生を賭けた小さな大会で、やっぱり優勝することは出来なかった。でも、勝っても勝たなくても、わずかな可能性に果敢にチャレンジしたタイガーに、人々は心を重ね、自分の人生の小さな可能性を信じただろう、と、舩越さんは書いている。  ああ、そうだなあと思った。劣勢に於いて、なお勇敢であるということ。その姿にこそ、心を重ねずにいられないのだ。つらいのは、しんどいのは、見てる私の問題。なぜ?と、戦う人に尋ねてはいけないのだ。  そんな気持ちで、まもなく始まる今年最後のグランドスラムを、大事に見届けようと思う。