今日は、錦織がついに4位になったことを受けて、過去の記録を振り返る記事をお送りします。ちなみに錦織はTOP4ですがBIG4ではありません。BIG4はあの4人につけられた固有名詞だからです。たとえになっているかわかりませんが、00年代に圧倒的強さを誇ったマンU、リバプール、アーセナル、チェルシーが「BIG4」と呼ばれたのと似たような感じかもしれません。その4クラブが独占した時代をBIG4と呼ぶのであって、そこに強くなったマンチェスター・シティが割り込んできても、それをBIG4と呼ぶことはほとんどありません。  錦織の4位は、1973年のランキングシステム実装以降42年で73人目(Wikipedia:ATP Ranking)のことだそうです。本来なら1年間に一人か二人は出てくる記録ということになります。その中でナダルの2位浮上(05年7月25日)以降に限定すると4位以上を記録している選手は錦織で16人目になります。72人のうち16人がこの10年間にプレーしたと考えると多く思えるかもしれませんが、もう少し詳しく見てみましょう。  ナダル2位浮上後の2年間にわたる歴代の3位選手です。初めのうちはフェデラーより前から活躍していたかつてのナンバーワン選手が3位や4位を固めていましたが、そのうち表の下半分の3人にとって代わられました。ナルバンディアンに代表される彼らの最高位は3位、強すぎる二人に阻まれついにたどり着けなかった選手たちです。彼ら三人のカテゴリーにはもう一人、最高位4位のジェームズ・ブレークを入れてもいいかもしれません。あの08年デルレイビーチで錦織が決勝を戦った相手です。  そのうちジョコビッチが猛然とポイントを稼ぎ始めました。06年末の順位は14位でしたがわずか半年、WB後に3位浮上しフェデラー・ナダルの後をがっちり固めました。3位まで埋まってしまったので、他の選手にとっての事実上の最高位は4位になります。  しばらくは最初の表にもいたダビデンコが4位の座を務めました。その中でダビデンコと競い合うようになったのがフェレールです。08年全米のときも4位の座に座っていたのはフェレール、そしてそのフェレールを全米3回戦で破った若者が、錦織圭でした。手痛い敗戦を食らったフェレールはマレーに代わって4位から陥落し、その後11月には12位まで落ちてしまいます。  ここまで「最初の表の6人」+「BIG4」+「最高位4位の二人(ブレーク、フェレール)」で合計12人出てきました。うち新しくランクインした選手が3年間で8人います。しかし、この後6年間ではたった3人しか出てこないのです!  これが4強完成後にその牙城を崩した名誉ある5人の選手となります。このうち2(フェデラーとナダル)+2(ジョコビッチとマレー)の時代に4位を脅かしたのがデルポトロやソダーリングの二人。しかしソダーリングが単核症によって戦線離脱して以降は、4位の座を脅かす選手すら出てこなくなってしまいました。そして4強が最強時代を謳歌する中、一旦は23位までランキングを落としてしまったフェレールが復活しランキングを上昇させます。4強の怪我や不振時にはよく第4シードも務めたフェレールでしたが、格落ちシードと言われつつもその座を守ってランキングを維持。BIG4の2強化(フェデラーの不振とマレーの怪我)に乗じ、13年の年末には、ついにかつての自分を越えてランキング3位に上り詰めました  年明け2014年にはバブリンカがジョコビッチとナダルを破って全豪優勝、一気に3位に浮上しました。翌年の全豪まで4位以上を一年間守り抜いたのは立派です。実はこのときデルポトロもマレーを抜いて4年ぶりに4位に復帰しています。だがデルポトロはその直後左手首痛を発症し戦線離脱。空位になった4位にはしばらくフェレールが座っていましたが、復活したフェデラーがあっという間に3位に復帰すると3位まで空いていた枠がまた一つ減る状態となり今に至ります。  一昨年後半以降4強は衰退期に入り、3位まではちょくちょく入れ替わるようになってきました。現状のランキングを見ても3位は手の届かない位置ではありません。となると次なる目標は「2位」の牙城を崩すことになってきます。ナダルの2位浮上以降BIG4はずーっとトップ2を固め続けています。世界ランク2位以上の選手は過去36人出ています、要するに1年間に一人ペースです。だがここ10年では05年ナダル・09年マレー・10年ジョコビッチの3人しか新しく2位になっていせん!そろそろ譲っていただいてもよい頃だと思うのですが…新世代の選手がまだ見ぬ2位、そして1位の座を取るのはいつになるのか、それが真の意味での4強時代の終焉となるでしょう。