こんばんは。 完全に騙されました、セロリだと思いました… 先ほど放送があった食わず嫌いの錦織出演についてです。 ミスチル好きなどファンとしては知っている話も多かったですが、ドーピングの検査の実情とかは具体的な内容で興味深かったです。 特に「ナダルなどにラリーで力負けしなくなった」というのは力強い言葉でしたね。 さてここからはかずゴリさんの要望にお応えしてライバル列伝です。 私の年齢は言いませんが若い世代ですので、もちろん昔のテニスはライブで見たわけではありません。あくまで伝聞にしかすぎませんが、しかしこのライバル列伝、一つ一貫したテーマがあります。 それは「決して同じプレースタイル同士の選手はライバルにはなっていない」という点です。 これはテニスがそもそも正しい答えが存在しない、いろんなプレースタイルがナンバー1になれる可能性があるという特殊な特徴に起因します。そのうえでお互いの長所短所がいい感じにぶつかり合うのがプレースタイルが違う選手同士です。 ①錦織圭×ミロス・ラオニッチ 対戦成績…錦織の3勝1敗 2012東京F 錦織2-1 2014マドリード3R 錦織2-0 2014ウィンブルドン4R ラオニッチ3-1 2014全米4R 錦織3-2 2014東京F 錦織2-1 このカードを最初に持ってきました。この二人はATP公式の2014年ライバル特集の1番目に紹介されています。 なんといっても錦織のリターン力とラオニッチのビッグサーブの対決でしょう。この二人はこれまでの対戦も印象的ですがこれからの対戦も含めて好カードになることは必至です。 まず初対戦となった2012年楽天OP決勝では、錦織がベルディヒ、ラオニッチがマレーを破っての決勝進出。どちらも500の初タイトルをかけての勝負でした。 第1セットではタイブレークで競り勝った錦織が先取、第2セットではラオニッチが手の付けられないサーブで奪い返し、ファイナルセットに入ります。 ファイナルセットに入ると錦織のリターンが冴えわたります。ベルディヒも打ち破ったスーパーリターンで次々とリターンゲームで攻撃を仕掛け、最後はラオニッチのミスで終了。錦織が地元初優勝を達成しました。 2014年マドリード3Rでは錦織がサーブ力、ラオニッチがリターンとストロークを強化し、より厳しい試合になりました。 腕を治療しているという情報も入っていたラオニッチでしたが吹っ切れてか唖然とするような攻撃性を見せ、第1セット序盤はリード。サービング・フォー・ザ・セットで錦織が土壇場でブレークして追いつくと、タイブレークは接戦。ブレークはここだけで結局2本のタイブレークを勝負強く制した錦織が勝ちました。この勝負に勝った錦織は初めてのマスターズ決勝まで勝ち残ります。 2014年ウィンブルドン4Rでは芝のサ-フェスを生かし、ラオニッチのサーブが全く手を付けられなくなりました。 第1セットこそ錦織がとったものの、あと2つ取れるイメージは湧かず、結局その通りになりました。ラオニッチはこのサーブで勢いに乗り初のグランドスラム4強。 2014東京決勝では第1セットのタイブレーク、第3セットの最終ゲームと勝負所で競り勝った錦織が勝利。ファイナル進出に前進しました。 どちらも勝つとその後に大きな意味となる勝利になっています。来シーズンも複数回の対戦があるでしょう。 ②ロジャー・フェデラー×ラファエル・ナダル 対戦成績…ナダルの23勝10敗 主な対戦カード 2004マイアミ2R ナダル2-0 2005全仏S ナダル3-1 2006全仏F ナダル3-1 2006ウィンブルドンF フェデラー3-1 2007全仏F ナダル3-1 2007ウィンブルドンF フェデラー3-2 2008全仏F ナダル3-0 2008ウィンブルドンF ナダル3-2 2010ファイナルF フェデラー2-1 フェデラーとナダルは永遠のライバルと言って過言ではないでしょう。 初対戦は2004年のマイアミ2回戦。当時はナダルはまだノーシードで17歳。ところが王者になったばかりのフェデラーを圧倒して勝利。鮮烈なシニアデビューを飾りました。 05年全仏ではクレーコーターの力を発揮しフェデラーの持ち味を封じます。とにかく拾っていき、コートカバー能力で圧倒するナダルにフェデラーは屈します。 しかしフェデラーとて黙ってはいません。06年ついに苦手の芝で勝ち進んできたナダルと決勝で初対戦すると圧倒し4連覇。翌07年は追いすがるナダルを振り切ってフルセットで勝利。 一方フェデラーはグランドスラム制覇に向け毎年全仏に向かいますが、06年から決勝でナダルに3年連続屈します。05年も含めて4連敗です。 そして08年ウィンブルドン、史上最高の決勝戦と名高い薄暮の激闘が行われました。 この決勝戦、ナダルが2セットを取りついに悲願達成と思われました、しかしドラマはここから待っていました。 フェデラーの鬼子母神のような攻撃がナダルにも突き刺さり、勝負はがっぷり四つに。なんと2セット連続タイブレークを制したフェデラーがファイナルセットに持ち込みます。 ファイナルセットでも互角の戦いを見せた両者は何度もブレークポイントに直面しながらしのぎ続け、日没順延(当時は屋根なし)も見えた現地夕方、4時間48分にも及ぶ死闘はファイナルセット9-7でナダルが制し、悲願の初優勝を成し遂げました。 一方フェデラーは09年にナダルと決勝で当たって勝つという夢は見れなかったものの、ナダルの本拠地であった全仏オープンを制し、キャリアグランドスラムを達成します。 23勝10敗と対戦成績上は開いている理由は、クレーコートでの成績にあり、13勝2敗と大きくナダルが勝ち越しています。 芝では2勝1敗でフェデラー、ハードでは9勝6敗でナダルです。 またフェデラーの唯一のウィークポイントであるバックハンドが執拗に狙われたのもこのカードの特徴で、フェデラー絶対王政時代を打ち破るヒントになったフェデラー攻略法として知られています(しかしそれで打ち破れるだけのストローク力があるのは、ナダルや一部の選手に限るということは忘れてはいけません)。 優雅で正確性のあるまるで機械のようなボールを放ち続けるフェデラーに対して、拾い続ける底なしのフィジカルで貪欲にボールを追い続けるナダルの姿はとても対照的で、テニスファンを魅了しています。 ③ジョコビッチ×マレー 対戦成績…ジョコビッチの15勝8敗 主な対戦カード 2008シンシナティF マレー2-0 2009マイアミF マレー2-0 2011全豪F ジョコビッチ3-0 2012全豪S ジョコビッチ3-2 2012ロンドン五輪S マレー2-0 2012全米F マレー3-2 2013全豪F ジョコビッチ3-1 2013ウィンブルドンF マレー3-0 ジョコビッチとマレーは同い年だと以前書きましたが、幼いころからジュニアの大会でよく顔を合わせていたようです。オフコートでも仲のいい二人ですが、ここ数年のテニスシーンの重要な場面を作ってきたカードです。 特に初期はマレーの活躍が目立ち、ジョコビッチに対して五分の成績で、マスターズ決勝ではジョコビッチに勝つケースが多く、マスターズ番長の異名も持ちました。 なおシンシナティで2回ジョコビッチに勝っており、これがジョコビッチがキャリアゴールデンマスターズ(9個のマスターズで全勝、ジョコビッチはあと1つ)を妨げる原因にもなっています。 2012年の全米、そして2013年のウィンブルドンではともにグランドスラム優勝を狙うマレーに立ちはだかったジョコビッチ。その中でも2013年ウィンブルドン決勝は非常に見ごたえのある試合でした。 スコアこそマレーの3-0となってしまいました。しかしこの試合は最終ゲーム、マレー5-4のサービスゲームがすべてです。ご覧ください。 マレー、サービング・フォー・ザ・チャンピオンシップからのドラマ 40-0としたマレー。誰もが優勝を確信したところからなんとデュースに持ち込まれ、地獄のデュース合戦が始まります。 これを制したマレーが悲願の優勝。名勝負と呼ぶにふさわしい試合でした。 ここ最近は無双を続けるジョコビッチに差をあけられていますが、本来互角の戦いができるマレー、来シーズンに注目です。 ④ビヨン・ボルグ×ジョン・マッケンロー 対戦成績…7勝7敗 主な対戦カード 1980ウィンブルドンF ボルグ3-2 1980全米F マッケンロー3-2 1981ウィンブルドンF マッケンロー3-1 1981全米F マッケンロー3-1 実はこの二人、テニス界の名勝負と言われると必ず挙がりますが、対戦はわずか14回です。 ボルグは81年に引退しており、マッケンローはプロデビューが78年。なんと4年の間に14回(最後の3年間で13回)戦っています。 これは今年の対戦が多かったフェデラー×ジョコビッチ(5回、棄権で1回不成立)のペースが3年間続いたということです。 なんといっても1980年ウィンブルドン決勝がハイライトでしょう。この大舞台で、チャンピオンシップポイントとセットポイントが入れ替わりながら18-16まで行き、マッケンローがファイナルセットに持ち込んだ第4セットのタイブレーク。これはテニス名勝負の1位でもおかしくない戦いでした。 タイブレークノーカット映像 さらにファイナルセットも8-6まで行き、ボルグが5連覇を達成しました。 その後はマッケンローが意地を見せ全米で2年連続決勝でボルグを破ります。ボルグほどの名選手が全米で1度も勝てなかったのはこのマッケンローの影響があります。 またボルグがウィンブルドン6連覇を狙った1981年決勝ではマッケンローがリベンジし、5連覇で終わります。 そのボルグは07年に引退後初めてウィンブルドン男子決勝を観戦し、そこでフェデラーがボルグに並ぶ5連覇を達成、さらに翌年はナダルに敗れ6連覇を逃し、同じ相手にリベンジされて6連覇を逃すという全く同じ出来事が起きました。 歴史に残るライバル達が歴史を繰り返した瞬間です。 プレースタイルもこの二人は正反対で、ウッドラケット時代には珍しいスピンボールを打つボルグに対し、サーブ&ボレーで仕掛けるマッケンローの天才的なラケットタッチとの勝負でした。ネット際のボレー&ストロークの攻防も見どころでした。 ⑤ピート・サンプラス×アンドレ・アガシ 対戦成績…サンプラスの20勝14敗 主な対戦カード 1990全米F サンプラス3-0 1994大阪S サンプラス2-0 1995全豪F アガシ3-1 1995全米F サンプラス3-1 1999ウィンブルドンF サンプラス3-0 2000全豪S アガシ3-2 2001全米Q サンプラス3-1 2002全米F サンプラス3-1 アメリカ人同士の最高のプレーヤー二人の戦いは実に34回も行われました。 サンプラスはビッグサーバーと言われがちですが、爆発的なストロークやボレータッチも秀逸で、現在でもフェデラーらと並んで最強選手論に名前の挙がる選手です。 一方のアガシもサービスエースは取れますし、ビッグサーバー全盛期の時代にお互いの少しだけの長所はありながら、ハイレベルな戦いが行われました。 この試合の動画はとてもすごいです。 1995インディアンウェルズ決勝 アガシのリターン位置が完全にコートの中で私も引いてます。あれだけの弾丸サーブをベースラインより中で取るのは無謀とも言えますが、しっかり効果的なリターンを返しています。 ちなみに動画の序盤は実に試合の半分以上のポイントが採用されており、このクオリティがずっと続くのか…と思います。現在のテニスの試合と思っても何の遜色もありません。というかむしろこっちのほうがすごいのでは… 他にも2001年全米Qで4セットすべてでタイブレークまで進む大熱戦となりました。 また2002年全米決勝はなんと実質的なサンプラス現役最後の試合になり、優勝で幕を閉じています。 それから1994年には大阪・江坂テニスセンターで試合を行いました。いい時代だったな… これについては以前の記事で読者のbeckerさんが観戦したときの話をしています。 さてライバル列伝はこんな感じです。最近のばっかりだって?著者がそういう年齢層なのですいません。 コナーズとかレンドルとか出したかったんですけど、そもそも私の知識不足のほうがでかかったのでやめます。 書いてたら日付をまたいだのでこれは25日の記事として明日も更新しようとは思います(が、更新できるかはわかりません)。 次回からは「テニスの数字」シリーズです。数字にうるさいtwosetdownがテニスの数字にまつわる知っておきたいことについて書いていきます。それでは。