昨日19日、女子の世界ランク6位、中国の李娜が引退を表明しました。膝の度重なる故障に悩まされた他、32歳という年齢や今年の全豪で2度目のグランドスラム制覇を成し遂げたことなども彼女のモチベーションに影響したようです。  この選手を語るとき、自分はどう語ってよいか正直迷うところがあります。彼女は非常に多くのことを成し遂げてきました。しかしそれは全て、非常に多くの期待と重圧の元で行われたものであり、そして彼女はまた対戦相手以外にも数多くの何かと戦ってきたからです。  自分は経歴だけを紹介するにとどめ、後は彼女自身のメッセージ(英語)と、全豪制覇時にフリーライターの方によって翻訳された現地の特集記事を読んでいただきたいと思います。  彼女は武漢出身。中国の選手によくあるように10歳の頃から国営の選手として徹底した訓練を受けて成長し、2000年頃から多くの下部大会で優勝。一度は若くして引退しましたがその才能を惜しまれて戻ってきました。  復帰後の彼女は次々と信じられないことをやってのけていきます。それは丁度10年前の今頃が始まりでした、WTAの広州大会でなんと予選から勝ち上がって優勝。中国の選手がシングルスでWTAタイトルを獲得した、この時点で彼女は既に史上初だったのです。  彼女はすぐにトップ選手の仲間入りし、ランキングも順調に上がって行きました。06年にはウィンブルドンでベスト8にまで進出(これも中国のシングルスとして史上初)すると、フェドカップのプレーオフでもエースとして2勝し、中国は史上初めてワールドグループ入りを果たしました。この結果2007年の全豪後にランキングは16位まで上昇しました。  しかし怪我もあり、コート外の出来事もあり、その後彼女は一旦伸び悩むことになります。期待されて迎えた北京五輪でも準決勝、三位決定戦と続けて敗退しメダルを逃してしまいました。翌年の2009年から再び輝きを取り戻した彼女は2010年全豪で大躍進を果たすのです。4回戦でウォズニアッキを、準々決勝ではビーナスを破りベスト4に進出。この活躍でついにトップ10入りを果たした彼女は2年ぶりのツアー優勝、さらに全英で再びベスト8入りと着実に実績を積み上げていきます。  とはいえ2011年を迎えた時点で彼女は既に28歳、女子テニス界ではかなりの遅咲きです。このまま2010全豪がキャリアハイになってもおかしくない状況ではありましたが、彼女はここからさらに成績を伸ばして見せました。全豪準決勝では2年連続でウォズニアッキを下して初のグランドスラム決勝進出。このときはクライシュテルスに敗れてしまいましたが、続く全仏でも決勝進出すると連覇を狙うスキアポーネを下してアジア人として初のシングルス四大大会優勝を飾ったのです。大会後の世界ランクは4位まで上昇して伊達公子と並ぶアジア最高タイの順位となりました。  中国を代表するスポーツ選手となった彼女は13年の全豪で再び決勝に進出するも、アザレンカに敗れて準優勝に終わりました。彼女は準優勝の多いプレイヤーで、ツアー通算の決勝成績は9勝12敗。わずかツアー9勝しか挙げていないにも関わらず、そのうち2回がグランドスラムという不思議な成績を収めている選手でした。  13年はツアー最終戦でも準優勝を飾り世界ランクのキャリアハイを更新し3位に浮上。そして14年の全豪で2年連続の決勝進出を果たし、今度はチブルコバを破って31歳という高齢にして見事グランドスラム2度目の優勝。大会後の世界ランクはついに2位まで上昇。  今年に入っても彼女の鋭く正確なストロークは全く衰えを見せていませんでした。世界ランク1位のセリーナは今年前半戦不調だったため、李娜には世界ランク1位のチャンスが出てきました。しかしそれを目前にして彼女の古傷は悲鳴を上げ始めていました。全仏と全英でそれなりの成績を残せば2大会とも不振だったセリーナに代わって世界ランク1位の座が手に入ったにも関わらず、彼女はそれぞれ1回戦と3回戦で敗れてしまったのです。そして全英後には手術を受けましたが復帰は叶いませんでした。  彼女の出身地である武漢には今年からWTAプレミアの大会が新設され、来週大会が行われます。その舞台に彼女が立つことは叶いません。しかし彼女が不在だった全米では彭帥がベスト4に入るなど、まだまだ中国女子の旋風は止みそうにありません。今後も多くのテニス選手が中国から生まれていくでしょう。  そして彼女のテニスとその生き様は中国中の若者に大きな影響を与えました。引退後でも忙しい生活を送ることになるかもしれませんが、まずは激動の15年間の疲れをゆっくり癒して貰いたいと思います。