錦織選手をめぐる「声」について
初めて、テニスのカテゴリーで記事を書きます。
技術的なことはよく分からない門外漢ですが、よろしくお願いします。
全米オープンテニス男子決勝戦、錦織圭とマリン・チリッチの対戦は、チリッチの完勝に終わりました。
マスメディアは、対戦成績で上回ることなどを理由に、錦織有利の下馬評で盛り上がっていました。
例によって、はしゃぎすぎるほどに。
しかし、決勝戦という舞台、ここまで来れば、過去の相性とかはほとんど関係なくなるもの。
だから私は、どちらが勝っても五分と五分、互角の戦いだと思っていました。
結果的にワンサイドゲームになってしまいましたが、それも勝負の綾、よくあることです。
大会を締めくくる、熱のこもった好勝負だったと思います。
さて、試合が終わって、準優勝に終わった錦織を讃える声が大勢を占める一方で、決勝で負けたことを非難する声も上がってきていますね。
まるで、それまでのすべてをなかったことにするかのような。
しかし、考えてみてください。
四大大会の舞台で、6勝1敗ですよ!
明らかに、まぐれや偶然で成し遂げられることではありません。
十分、称賛されてしかるべき成績だと思いませんか?
優勝できなかったのは事実なので、必要以上に持ち上げるのはどうかと思いますが、蔑むような心無い発言やコメントは控えるべきです。
大会が終わり、錦織選手は、さぞや悔しい思いをしているでしょう。
でも、もう次のステップに向かい始めていることでしょう。
この経験を活かして、さらに高みを目指してくれるはず。
期待しましょう!